どこかで起きている争いや災害などを、自分のことのように、あるいは友達や知人を心配するように感じることが正直少ない方だと思っています。
(他人と比べることではありませんし、比べる方法もありませんが、なんとなく)
今日もそれを感じる出来事がありました。
習い事のお教室が入っている建物の別の階から火災が発生して、レッスンが中止になるとのメールが届いたのですが、
私はそれにサッと目を通すとすぐに、
その時やろうとしていた事に取りかかりました。
そしてすぐ我に返り、
被害の状況を心配したり、火災が早く鎮火するようにと願ったり、していない自分に気がつきました。
私は通信で習っているので、このお教室には行ったことはありませんが、お世話になっている先生や自分と同じ仲間たちがいることを思えば、ふつうは反射的に心配することができたのだろうと思います。
そんな薄情な自分にがっかり…するよりもと、
気づけたことを今しっかりと受けとめようと、
この建物にむけて、黙祷と祈りの時間を少し設けました。
自分に関係はなくても、自分の近くの出来事ではなくても、自分のことのように感じる大きな心を育てていきたいです。
でも、できないものを感じようとしてもなかなか難しいので、黙祷や祈りなどで心に留める時間を意識的に作ることから始めたいと思います。